地域活性化のための事業「鬼越の森再生プロジェクト」を本格化させてから一年半近くが経とうとしています。昨年、この活動の中で我が家の目の前を由緒ある古道がとおっていることを知り、これも合わせて整備する運びとなりました。古道再生プロジェクトは地域の方々に支えられながら、どんどん発展しています。
そこで、お盆明けに広く地域全体に向けた説明会を開催しようということになりました。平清水・岩波・小立にお住まいのみなさま、ぜひお越しくださいますようお願い申し上げます。
集合日時:2023年9月9日 9:00集合
集合場所地図:https://maps.app.goo.gl/ynQLQXZBrhFNfvn77
なお、以下は説明会に先立って回覧予定の説明文です。
みなさま、初めまして。ナスカの地上絵の研究チームに所属し、山形大学で南米ペルーの考古学を教えています、松本剛と申します。このたびは私がプライベートで行っている瀧山の歴史にまつわる活動についてご紹介するとともに、活動に対する私の想いや、地域住民のみなさまに対するメッセージを書かせていただきました。拙文ではございますが、お付き合いいただければ幸いです。
活動の概要:鬼越古道の復活
鬼越古道をご存知でしょうか。かつて最上三十三観音の六番札所の耕龍寺と七番札所の石行寺を山越のルートで結ぶとともに、平清水焼と岩波焼の窯場をつないでいた道です。昭和の時代までは子どもたちの遠足道として機能していたこともあったようです。今でも現存する部分は筍取りのための通り道として使われていますが、古道は少しずつ姿を消しつつあります。このような地域の重要な歴史遺産が目の前で姿を消そうとしているのを、私は地域住民の一人として、また歴史研究に携わる者として見過ごすわけにはいきませんでした。そこで私は、一般財団法人ハウジング・アンド・コミュニティ財団から助成金を獲得し、近隣住民の方々のご協力をもとに古道復活・整備のための活動を令和5年4月より開始しました。
活動に至る経緯
古道復活のアイデアは、実は私が行っている別の活動から生まれました。
私が暮らす鬼越(大字岩波字鬼越)には長らく放置された杉林が多く、その周囲は土砂災害警戒区域に指定されています。杉は根が縦に伸び、広く根をはって地盤を固めることをしません。また、杉の葉は落葉樹の葉のように腐葉土になって雨水を保水することができないため、降った雨はそのまま山を流れ落ち、川に注がれることになります。いま日本の各地で起きている土砂災害や河川氾濫はこのようなメカニズムで起きているのです。こうした災害は単なる天災ではなく、人々が森を放置し続けてしまった結果でもあり、これを防ぐためにできること、やるべきことはたくさんあるのです。ところが、私たちの周囲でこうした災害を未然に防ぐための取り組みは官民ともに皆無です。
長らく放置されて高く伸びきった杉林は、年間をとおして近隣住宅への日照を遮っているだけでなく、倒壊の可能性もあり、定期的な間伐の必要があります。また、光も風も通らない過密な杉林は、苔しか生えない偏った生態系を作り出しています。人の手の入らない山の周囲では野生動物による被害も増加します。実際に心血を注いで作った畑を荒らされたりしたご経験がある方もいらっしゃるはずです。
そこで私は、自宅の向かいにある杉林の持ち主の方に、これを間伐することで落葉樹を含む雑木林に作り替えたいと申し出ました。快く同意してくださったので、さっそく県からの助成金を獲得し、「山形県みどり豊かな森林環境づくり推進事業」として令和4年4月から活動を開始しました。まずは倒壊の危険性のある木から伐りはじめ、それを薪にして、冬場の暖房に使いました。これによって安全を確保できるだけでなく、木材をエネルギーに変えることで、年々上昇する電気代を抑えることにもつながると考えたからです。また、これらと並行して狩猟免許を取得し、有害駆除のための準備もはじめました。私のこうした考えにご賛同してくださる地域住民の方々が少しずつ増え、いまでは活動のたびに毎回20名程度の方が参加してくださるようになりました。
こうした生活安全確保のための活動のなかで、伐採した木を運び出すために整備した小道が由緒ある古道であることを知りました。上述したような理由から、森の整備と合わせて古道も復活・整備しようということになった次第です。
森整備と古道整備の接点
森の整備と古道の復活は直接関係していないように見えるかもしれませんが、明確に結びついています。杉が建材としての価値を失って以来、人々は森に寄りつくことさえしなくなりました。これと呼応するように古道も消えていきました。しかし、古道を整備し、ここを地域の人々が再び歩くようになれば、道が従来の役割を取り戻すだけでなく、森の現状を知らしめることにもなるのではないでしょうか。ひいてはそれが人々の森に対する向き合い方を変化させることにも繋がるのではないでしょうか。つまり、道は人や地域を繋ぐだけでなく、森と人とを結ぶものでもあるのです。私たちの森と古道の整備の活動が、歴史遺産の保護だけでなく、実質的な災害対策にも繋がれば、それは私にとってこの上ない喜びです。
活動にかける私の想い
私はこれまでの人生で25回もの引っ越しを経験しました。アメリカの大学院でペルーの考古学を勉強するために26歳のときにサラリーマンをやめて渡米しました。アメリカ中西部や東海岸、ペルー北海岸などを行き来しながら暮らしてきましたが、山形大学への着任を機に山形に根を下ろすことを決意し、終の住処を築くために、鬼越に移り住みました。根無し草のような暮らしが長く続いたので、生まれ育った東京にふるさとを感じることはほとんどありません。鬼越こそが私の居場所であり、帰る場所となりました。
鬼越は市街地より少し気温が低く、冬は雪も多いですが、心底気に入っています。森や古道の整備を始めたのも、この鬼越をもっともっと住み心地のよい場所にしたいという想いがあるからにほかなりません。そして、自ら再生し続ける森をつくるには時間がかかります。私の代で終わるようなものではありません。百年先を見据えて、子や孫の代まで続いていくような、そんな活動を目指しています。そしてこの鬼越での活動を平清水や瀧山地区全体、ひいては山形県全体に広げていきたいと考えています。
地域住民のみなさまへのメッセージ
山形はほんとうに豊かなところで、人が本来必要とするものすべてが揃っていると思います。しかしライフスタイルの変化にともなって、伝統的な暮らしを少しずつ手放さざるをえなくなり、暮らしそのものに時間をかけることが難しくなりました。困ったことがあれば、町内会や市役所の市民課に相談したり、政治家に陳情したりするばかりで、自ら行動を起こす人はほとんどいません。会社勤めをしながら生きるためには仕方のないことなのかもしれません。人々が森を放置し、古道が忘れ去られるようになったのもそんな経緯からではないでしょうか。
とはいえ、国や地方公共団体などの公共機関が重い腰を上げるのをいつまでも待っていても、おそらく何も変わらないでしょう。だったら、住民自らの手で変えていきませんか。結局のところ、私たちの暮らしは、私たち自身でなんとかするしかないのだと思います。かつての里山暮らしの豊かさを知るみなさまに、一人でも多く「自分たちの手ですすめる里山づくり」に携わってもらえたらと思います。私たちの森や古道の整備の活動にご賛同・ご協力していただける方、「うちの山もなんとかしたい」という方は下記までご連絡ください。また、8月下旬に町内会のご協力のもとで活動についての説明会を開催しますので、そこでみなさんと直接お話できればと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
鬼越の森再生プロジェクト
代表 松本剛
コメント