春の山を歩いていると、スーパーでしか見たことなかった山菜が地面に生えている姿に出会います。どんな野菜も年中手に入るスーパーと違って、畑になっている作物は季節を明確に教えてくれます。
その土地での「旬」は、外に出て歩き回らないと分かりません。旬が分からないと、とんちんかんな時期にとんちんかんな作物を作ろうとして失敗します。そうして、難しい政治や経済の話は得意でも、自分が食べる野菜ひとつ作れない人間が出来上がるのです。
生きるということの身体的実感を忘れると、生の基本だったはずの事柄を後回しにして、本来どうでも良かったはずのことがあたかも当たり前のような顔をし始める。すると、物事を頭だけで決めたり、考えたりするようになり、僕らの生の実感はどんどんどんどん僕らから遠ざかっていく。
生きることを、生を実感することを僕らの手のなかに取り戻さないと、そのうち本当にとんでもないことになっていくと思うのです。ていうか、もうなってますよね。
「最近の男は間違った思い込みを持ってるから」土井善晴が“前世代的な考え方”を一刀両断する理由 | 文春オンライン
料理研究家の土井善晴さんが提唱する「一汁一菜」は「ご飯、味噌汁、漬物」を原点とする食事のスタイル。それは、料理をもっとシンプルなものとして捉えるための提案であり、「ご飯と主菜と副菜と汁物が日本食の定…
コメント