設立の経緯

鬼越の森再生プロジェクトは、山形県の助成を受けて2021年4月1日に正式に発足しましたが、最初はプロジェクトとしての形は持たず、代表である私(松本剛)の個人的な活動としてスタートしました。

日本、アメリカ、ペルーと3ヵ国を跨いで、根無草のようにあちこちを転々とする生き方にしんどさと限界を感じ始めていた私は、2020年になって本格化したコロナ禍で、それまでの自分の暮らしを根本的に見直す機会を得ました。

「どうやって生きるのが一番幸せなんだろう」と。

実はそれより以前にも、それまでの都市型の生活に疑問を感じることはあり、とくにアメリカ中西部での暮らしの終盤(2013年夏からの約一年半)、森のはずれのコテージに暮らしたときに、強くそれを感じました。

コテージでの生活は、それはそれは楽しいものでした。

朝は鳥のさえずりで目を覚まし、緑の庭を眺めながらの朝食。草花のトンネルを通って、子どもたちをスクールバスまでお見送り。広大な庭で野菜を育て、川や湖で釣った魚や、ハンターからいただいた獣肉を食べる、という生活でした。犬も猫も当然のごとく放し飼い。ときにはシカやアライグマ、ボブキャットなどの野生動物にも出くわします。暗くなったら暖炉で薪に火をつけて、あまり遅くならないうちに床に就きます。暖炉に焚べる薪は、森から木を切り出してきて、子どもたちと一緒に割って作ります。夏は目の前の湖で釣りをして、冬になって湖面が凍ったらスケート。メープルの木から樹液をとってシロップを作ったこともあります。

自然とともに生きる暮らしに深い喜びを感じました。

ところが日本に帰って、また都市型の生活に戻ると、自らの生から疎外されているような感覚に陥りました。利便性に富み、効率的ではありますが、どこにも自分の手を入れる余地がありません。自分の生に直結する事柄のほとんどすべてがオートマティックなのです。必要なのはお金だけで、お金さえ払えば大抵のことは誰かがやってくれます。

あのコテージでの暮らしを取り戻したい、どこかでそんなふうに思っていたように思います。

ですが、2016年に自然豊かな山形にやってきて、少しずつこの地の魅力を知るにしたがって、ここでならあのときのような暮らしができるかもしれないと思うようになりました。市街地では無理だけれど、少し山の方に入れば…。それから少しずつ土地や物件の情報を調べるようになりました。

そんな折、のちに我が家の建設をお願いすることになる、古民家ライフ株式会社の社長さんである高木孝治さんから、龍山の麓・岩波の土地を紹介していただきました。いくつかご紹介いただくことになっていたうちの一つでしたが、最初にここを見せていただいたときに心は決まってしまいました。ここに根を下そう、そう決意しました。そして、ここに家を建てることを決めたのです。「ここでの暮らしではなんでも自分でやろう」と決めていたので、家の設計も一から自分でやり、図面も自分で描きました。

新居が完成し、2021年9月に岩波に引っ越しました。人生で25回目の引っ越しです。岩波が自分にとっては終の住処ですから、これが最後の引越しです。幸せなことに、地域の方々にとても温かく迎え入れていただきました。ここを選んでほんとうに良かった、今でも心からそう思います。

ここに暮らすようになって、自分の心と深く向き合うようになってわかりました。私はずっとどこか一箇所に落ち着きたかったのです。ふるさとを持たない私はずっと心のどこかに穴が空いたような状態でした。ずっと欲しかった「ふるさと」を手に入れた私は、この場所を少しでも居心地のよい場所にしようと動き始めました。まずは自分の敷地内で。家が建つ前から庭の手入れをしたり、畑のための土づくりをしたり、薪ストーブを入れることになっていたので、薪集めをはじめたりしました。

そして、引っ越してすぐ、冬の暗さに気づきました。

陽が傾くと、11月の後半くらいから何ヶ月も陽が当たらなくなりました。見上げると、目の前の斜面にはとても背の高い杉の木がたくさんあります。いまから30年ほど前に建材としての価値がなくなってから、かつては国を挙げて植樹した杉林も、枝打ちなどの手入れがされないまま放置されるようになりました。伸び放題の杉林は鬱蒼としていて苔だらけですから、山菜やきのこも生えません。一見して、生態系に大きな偏りがあるのが明らかです。人が入らないので、クマやイノシシなどの野生動物が自由に出入りして、近隣の畑や田んぼを荒らしていました。

地権者の方に伺ってみると、植樹してから60年くらい経っていることがわかりました。この杉を切れたらもっと明るくなるのではないか。獣害も減るのではないか。間伐材は薪にして必要な人に配布すれば、(再生可能エネルギーである)木質エネルギーの利用を促すことにもつながるかもしれない。陽が当たらないのも、農作物に被害を受けていたのも、我が家だけではありませんでしたから、少しずつでも間伐できれば地域のためにもなるかもしれない。そう思い、思い切って地権者の方に聞いてみました。

「これ切ってもいいですか?」

「いいよ。でも大変じゃないか。」

なんでも言ってみるものです。地権者から了承が得られたらもう怖いものはなし。私はその日のうちに妻に、森の整備をするためのプロジェクトを立ち上げ、できることならある程度の規模の助成金を得て、地域を巻き込んだ事業にしていきたいと相談しました。私の性格をよく知っている妻は、私が本気なのを察してくれたようで、県の助成金(令和4年度山形県みどり豊かな森林環境づくり推進事業)を見つけてきてくれたのです。

地域のために良いことづくめのプランが却下されるわけありません。無事助成金がおりることになりまして、鬼越の森再生プロジェクトは放置林の間伐と薪作り・無償配布を柱に、2022年4月1日に本格的にスタートすることになったというわけです。

発足時には10名程度だったメンバーも、活動を重ねるごとに少しずつ増え、現在では月例活動に毎回30名近くのメンバーが集まるようになりました。メンバーは多様な背景をもつ人々の集まりですが、同じ志のもと、年齢や国籍、性別、職業などを越えて、とても楽しく活動しています。

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